楽山大仏(文化自然)
峨眉山
中国の仏教の四大名山の一つに数えられている。有名な観光区域で、世界自然文化遺産。峨眉山は四川盆地の西南にそびえ、成都市から約160キロ離れている所に位置している。峨眉山は高い山々が起伏し重なり合っていて、その姿が美人の眉のように細長くて、「峨眉山」という名があった。山は南北向きで、面積約115平方キロ、23キロも延々と続く。主峰万仏頂の海抜3099メートル。
峨眉山にはさまざまな特別な動植物がある。例えば、枯葉蝶、風蝶、蛙、琴蛙、樹蛙、大蚯蚓;桐、銀杏、洪椿など。主な見所は報国寺、伏虎寺、万年寺、清音閣、仙峰寺、洗象池、洪椿坪、金頂など。仏光、雲海、日の出、聖灯という四大自然奇観がある。
伏虎寺
峨眉山の最大の寺。峨眉山の麓にある。もともとは「龍神堂」という名であった。南宋紹興元年(1131年)に建て始めた。寺の後ろの山は跪いた虎の形をしていて、「伏虎寺」と改名した。明の末、焼失してしまった。清の順治八年(1651年)に建て直した。20年経って、今の13重の仏殿になった。「文化大革命」で、仏像、扁額などが壊された。1980年後、次第に修復されてきた。1981年に、元の時代の銅仏塔と華厳銅塔が大雄殿の側に運ばれてきた。寺の後ろには「龍鳳輝室」という尼寺がある。「龍鳳輝室」は康煕年間に蒋超が「峨眉山志」を編集した時に住んでいた所である。この尼寺は密林にあるのが、屋根には枯れた葉が積もることはない。それで、「離垢園」と康煕皇帝に賜られた。
報国寺
全国において重点的な仏教寺院。峨眉山の麓にある。最初は今の伏虎寺の右側にあったのが、清の順治九年(1650年)に、聞達和尚が今の場所に引っ越した。康煕四十三年(1703)年に康煕が「報国寺」と名づけた。同治五年(1866年)に増築した。敷地面積4万平方メートルあまり。仏殿は弥勒殿、大雄殿、七仏殿、蔵経楼などが主になっている。
聖積寺銅塔
中国で現存した銅塔の中では、聖積寺銅塔が一番華麗で立派である。省級の文物として大切されている。伏虎寺の中にある。明の万暦十三年(1585年)に鋳造した。元々は峨眉山の聖積寺に置いてあった。寺の廃棄によって、塔は報国寺に引っ越された。1982年に、伏虎寺の中に移行された。塔の高さ5.8メートル、塔身には仏像4700尊と「華厳経」の全文が鋳造してある。
純陽殿
道教、仏教の廟で、峨眉山の中腹にある。元々は「呂仙祠」と呼ばれていた。明の万暦十三年(1585年)に創建した。崇幀六年(1633年)に増築して、今の名前と名づけた。元々は道教の神殿であった。清の乾隆年間、僧侶が殿外で仏堂を増築して、仏像を祭るようになったので、道教、仏教の廟になった。幹人洞、普賢船石などの見所がある。
清音閣
黒龍江と白龍江という二つの渓流が清音閣の下で合流する。激流があずまやの下の牛心石にぶつかって、飛沫が飛び散って、雷のような大きな音を出す。
洪椿坪
全国において重点的な仏教寺院。峨眉山の中腹にある。元々は「千仏庵」と呼ばれていた。清の乾隆五十五年(1790年)に、峨雲禅師が建て直した。寺の前には唐の時代の洪椿樹があるので、今の名前と名づけた。
万年寺
全国において重点的な仏教寺院。昔から「峨眉山第一寺」という誉めがある。峨眉山の中腹観心坂の下にある。元々は普賢寺と呼ばれた。伝説によると、東晋元煕二年(420年)に慧持によって建てられたそうである。唐の光啓三年(887年)に建て直されて、「白水寺」と改名した。宋の太平天国五年(980年)に茂真禅師が増築して、「白水普賢寺」と改名した。その時、白水普賢寺の中には仏殿七つ、銅で鋳造した普賢の馬に乗った像があった。明の万暦二十七年(1599年)に焼失してしまって、銅像だけ残っている。万暦二十九年(1601年)に修復された。神宗が「聖寿万年寺」という扁額を賜った。1946に、また焼失してしまった。1953年、1986年、1991年に続々と大雄宝殿、巍峨殿、般若堂などの十個所の単体建築が建て直された。
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